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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の九
【お葬式】
[2002/10]

 二十二施設。人口に対する割合としては全国でもトップクラスに位置する。さて、何のことかおわかりだろうか?葬儀式場の数である。需要があるから増えるのか、式場があるから利用するのか、さだかではないがここ十年見る見る増えていった。

 駐車場・イス席・冷暖房・宿泊施設と、いたれりつくせりの式場は利用者にとって便利この上ない。しかし、その便利さは、もっとも重要で肝心なひとつの事を忘れさせてしまう。『自分たちが出す葬儀である』という事を。

 私事ではあるが、先日祖母が亡くなった。急ぎ郷里の輪島で葬儀を執り行う事となった。

 輪島では、お棺・霊柩車・マイクロバスは市役所が持っている。役所へ一本電話をいれればその時間に来てくれる。葬儀社と名のつくものはあるにはあるが、それは祭壇を貸してくれる業者という意味である。その祭壇もほぼ一律である。よって葬儀全般の段取り(火葬場の手配、死亡診断書の作成、提出、その他もろもろ)は、すべて家族が喪主を中心に一丸となって取り組むのである。始まった式は途中アクシデントもありスムーズにという訳にはいかなかったが、すべてを終え、無事祖母を送り出した時、最後の別れを自分たちなりに出来たと思えた。

 現代の生活形態からいえば、葬儀社を利用するのはやむをえないとは思うが、現状(金沢)をみるにつけ本当にこれでいいのか?と。花を沢山飾ることや、祭壇を大きくする事。自分たちが楽をする事が葬儀を執り行う事ではないのでは?と思えてしまう。

 本来葬儀社とは、遺族のサポート役である。彼らの言われるままに一から十までハイハイとお客様気分で終わってしまうのでは、見送るだけの葬儀になりかねないのではないだろうか?

 「親の葬式を出して一人前」という言葉がある。それは、喪主として葬儀を取りしきる事により、いろいろな事を学び、死を通して、生という事を見つめ、一人の人間として一歩成長するという事を意味している。「送る」のではなく「見送る」だけでは、葬儀から何も見えてはこない。

合掌

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