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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の十六
【宙ぶらりん・1】
[2005/07]

 最近よく聞かれることに、なぜ四十九日なんでしょうか?四十五でもなくて、五十でもない、中途半端ですよねぇ?と言うものがあります。亡くなった日から数えて七日目を初七日。あとは、一週間に一回ずつ七回、七×七で四十九日。その日にお経を勤めてお墓に納骨。これが浄土真宗の通例となっています。この事が「なぜ」又は「どういう意味があるのか」わからない?と……。皆さんも案外に疑問に思われている事ではないでしょうか?今回はそのことについて少しお話ししてみようと思います。

 ここに「中陰」という言葉があります。お葬式が終り斎場(火葬場)から帰ってきてから行われる法要の事です。この中陰とは、陰でもなければ、陽でもない。言うなれば「宙ぶらりん」と言うことです。「四十九日までなくなった人が宙ぶらりんで迷っているのや。だから一週間に一回ずつお経が勤まるんですね」とおっしゃいます。でも、そうなんでしょうか。亡くなった人が迷っているのでしょうか。亡くなった人は「人間必ず死んでいかねばならない」という現実を私たちに教えてくれる仏になっています。迷ってなどいないのです。では、誰が迷っているのでしょう。宙ぶらりんなのでしょうか。それは取りも直さず残された私たちを指しています。私たちの宙ぶらりんさをあらわす例の一つを次に……。

 「弔辞」というものがあります。その最後に必ず大概のひとが「やすらかにお眠りください」としめくくります。やすらかにお眠りください。どうぞ化けて出て来ないでください……。でも、その同じ口が「家」に何か困ったことが起きるとお仏壇の前で、こう言うのです。「どうぞ見守ってください」と、そして挙句の果てに「助けてください」と。自分の都合に合わせて、亡くなった人を「眠っていろ」と言ったり「起きろ」と言ったり、まことに勝手な話ではないでしょうか。まさしく、宙ぶらりんで迷っているのは、残された私たちの方なのです。

 実は、四十九日の期間とは、亡き人を浄土に送る期間ではなく、このように宙ぶらりんで迷っている残った私たちが、宙ぶらりんでなくなる。地面に足のついた、大地にしっかりと根をはった人になって行くための期間なのです。

 その事については、次回お話ししてみたいと思います。(宙ぶらりん・2につづく)

合掌

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