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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の十七
【宙ぶらりん・2】
[2005/10]

 前回、四十九日の期間とは、亡き人を浄土へ送る期間ではなく、娑婆に残った我々が「宙ぶらりん」でなく、きちんと大地に足のついた人間になってゆくための期間だとお話させていただきました。では、大地に足のついた人間とはどういう事なのでしょうか?今回は、その事についてお話させていただきます。

 「六道」と云う仏教用語があります。「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六つです。よく、亡くなったらこの六つの世界をグルグル回るのだ。だからお経を勤めてお浄土に早く行けるようにするんですね。と言われます。けれど本当にそうなのでしょうか?前回「亡くなった人」は、「死ななければならない」人間の現実を、私たちに教えてくれている「仏」だとお話しました。では、この「六道」とは何なのか?実は「六道」とは娑婆に残った私達の「こころ」の現れを指しています。

 「地獄」とは、人と争う心。戦争を起こしたり、争う思いに捕らわれる心のことです。

 「餓鬼」とは、物を貪る心。例えば給料十二万円。あと三万あれば十五万で切りがイイ。じゃ十五万になってありがたいと言うかと思えば、あと二万ほどあれば俺の小遣いが増えるなぁと…。じゃ十七万になりました。そうしたら、こんどは、あと三万あれば二十になって切りがイイのに…と、それこそ切りがない。これが例え五十万円貰っていても百万円貰っていてもいっしょです。女性の方には申し訳ない例ですが、お腹が一杯になっていても、好きなケーキだったりすると「べつばら」だとか言いながら食べたりします。別に腹が二つ有るわけじゃないのに、まだ足りん、まだ足りんというこれが餓鬼。

 「畜生」これは、たとえ血を分けた親子であっても、兄弟であっても、時と場合によっては、恨んだり妬んだり疎んだりしてしまう。そういう心のあり方のこと。

 「修羅」これは、私たちが一番持っている心ではないでしょうか。どうぞ皆さん想像してみて下さい。今、私の(皆さん一人一人の)一番大切な人・愛する人が北海道へ旅行に行っている。今日飛行機で小松空港に帰って来る。テレビを見ていたら、北海道発小松空港着の飛行機が、事故に遭ったと云うニュースが飛び込んできた。大変です。警察・飛行機会社、八方手を尽くして調べたら、どうやら私の一番愛する人が乗っている飛行機ではなかった。さあ出てくる言葉は何でしょうか?「ああ、うちの息子は乗っとらんで良かった…」「ああ、うちの孫乗っとらんで良かった…」出てくるのはこの言葉です。愛情ある故に出てくる言葉ですが、実は恐ろしい言葉なのです。「乗っていなければ」いいんです。たとえ隣にその飛行機で息子さんやお孫さんを亡くされた方がいて、「お気の毒に…」と涙を流しも、やはり心の奥底で「ああ…乗っとらんで良かった」と心底思ってしまう。百人亡くなっていても千人亡くなっていても同じです。そして、「人」としてのやさしい心を持っていれば、「天」として自らを犠牲として助けると云う心も持っています。

 私たちは普段この「六道」をグルグル回っていると云うのです。今「餓鬼」になったかと思うと、次には「修羅」になっている。「修羅」かと思えば「畜生」に…。「人」になったり「地獄」になったり…。一分一秒として「同じ場所」にはいません。それが私たちの姿なのです。では…ここから私たちは、どうやって「大地に足のついた」人間になって行けるのでしょうか?その事については、次回の完結編でお話してみたいと思います。(宙ぶらりん・完結編につづく)

合掌

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