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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の二十一
【おかげさま・1】
[2007/03]

 お寺同士の間で使われる言葉に「縁借り」と云う言葉があります。そのお宅の檀家寺が、遠方にあったり、都合で毎月のお参りにこれない時や、そのお宅の方と同級生だったり親戚だったりした時、ご縁を借りて檀家寺の代わりにお参りに参詣することです。私にもこの「縁借り」でお参りしているお宅が何件かあります。そのうちの一軒にもう二十年ちかくお参りに行っているお宅があります。そのお宅でのお話です。

 「亡くなったお義父さんご坊さんのこと大好きやったんよ。お参りに来るのよう待っとたわ」おいおい突然なにを言い出すかと思ったらそんな話はじめて聞いたぞと私。たしかこのお宅の先代が亡くなってかれこれ十年。今まで一度もそんな話が出た事もなかった。厳格な方で、いつも難しい顔をして仏間に座っていたのを思い出した。笑った顔を見た記憶があまりない。私はまだ二十四だった。今の年齢ならいろいろと会話も出来ただろうが、なにせ当時の私は…。ろくな会話もできなかった事を覚えている。そんな私を楽しみに待っていてくれたとは…驚きである。しばらくは、お義父さんの思い出話になった。話も一段落してチョット間があいた時、「こうやってご坊さんにお参りしてもらっててこう言うのも悪いんやけど、義父が亡くなって十年、どうしても手が合わなくてねぇ…いつまで手合わせられんのかなぁって…」さっきの話にも驚いたが、この告白にはさらに驚いた。この十年どんな思いでお仏壇の前に座っていたのだろう。なんで手があわんね?聞いてみた。奥さん曰く「私しゃ二十歳でこの家に嫁いできた。ご坊さん知ってのとおり頑固で厳格な義父やった。三年ほど子どもが出来んかったんで気兼ねして気兼ねしておった。やっとお腹に子が来たと思うたら私の身体の具合が悪うなった。この子無事産めるかどうかってたいへんやった。どうにかこうにか女の子生ませてもろた。これでみんな喜んでくれる。そう思っとったらお義父さん何て言うたと思う?ご坊さん!」何て言うたん?と私。「よりによって『どす女(メロ)か!』って。私しゃ悲しいやら悔しいやら腹立つやらなんとも言えん気持ちで一晩布団の中で泣いとった」チョット待て、確かこのお宅は三姉妹。と云うことは…「ご坊さん。そのとおりや、二人目も女の子で同じ事言われたがや!そして三人目のときも!三人目のときはもっとひどい。どす女(メロ)のあとに『役に立たん』そうまでいわれた。べつに怨んどるわけやない。同じ家で暮らしとったんやし、孫も可愛がってくれた。そやけど…言われた事が頭から離れんでどうしても手が合わさらんがや」そう一気に話した後に、「もう七十過ぎとるのに手合わせられんて…自分が嫌になるわ…」ポツリと付け加えたのです。

 始めはこの奥さん、「えぇ〜なっ!!(金沢弁で腹たった時にでる言葉)」って気持ちでお参りしてたんだろうなぁ。それが月日がすぎ自分も歳を重ねていくうちに「なんで手合わんのやろ?」っていう問い掛けに変わり、それが「手が合わん自分が情けない」という反省に変わってゆく。この十年、この奥さんが誰よりも一番「ほとけさん」と向き合って生活していたのではないだろうか。そう思ったら、ぜひこの奥さんに聞いてもらいたい話があった。(おかげさま・2につづく)

合掌

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