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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の二十九
【境界線】
[2009/11]

 熊や猪、はては鹿まで…最近人里に、住宅地では見かけないはずの動物が、よく見かけられるようになりました。さまざま理由があげられます。山を切り開いて道路や宅地を作る…開発と云う名の自然破壊…温暖化からくる気候の変化…等々。どれも切り離せなく、それらが複雑にからみあって起こっている現象だと考えられています。

 でも、それらをすべて踏まえた上で、こう考えられないでしょうか?『人(人間)が獣(けもの)になってしまった!』からだと。その昔、人と獣の住む世界には、目に見えない境界線があったはずです。人が人として生活している世界は、明らかに獣の世界とは違います。故に獣は人の世界に足を踏み入れようとはしませんでした。文字どおり、住む世界が違うからです。

 しかし…今は…親が子を殺し、子が親を殺す。誰でもよかった…人を殺してみたかった…そんな理由で殺人が起こる。平気で人を騙し、嘘をつき、おとしいれる。責任と義務も果たさず、だだ己の欲だけのために生きている。そこには、人としての「やさしさ」 「おもいやり」「いたわり」など微塵もない世界が繰り広げられています。

 『獣(けもの)たち』は思います。『オレたち』と変わらないじゃないか!いや、オレたちよりひどいじゃないか…。そして、なぁ〜んだ『同類』じゃないかと。結果、人と獣を隔ている、目に見えない境界線はなくなってしまいました。故に、獣は人里に降りてくる。そこはもう、人の住んでいる世界ではないから!自分たちと同じ獣が住んで世界だから。

 すべての人が獣になっているわけではありません。ただ社会全体が、獣の世界になりつつあると云うことなのです。人の世界は弱肉強食の世界ではないはずです。したり顔で、世の中の仕組みを語り、ズルく立ち回われる事を大人と言い、子供の純粋な志を理想だと笑う人たちさえ、いつかは力をなくし、老いて行かねばなりません。いつ障害を持つ身体になってしまうかもしれません。その時に弱肉強食だ!と受け入れることが出来るのでしょうか。

 私たちは人間です。決して獣ではないはずです。

ただ…獣になってしまいがちな日々の中では、絶えず自らの『すがた』を鏡に写して見ていなくてはならないのではないでしょうか。知らない間に、人の皮をかぶった獣にならないように…。

合掌

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