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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の三十七
【歯医者と喫茶店2】
[2010/03]

 その歯医者さんの帰り道。予定していた時間よりかなり早く治療が終わった(治療といえるかどうか?)ので、少し時間が空いた。久しぶりにゆっくりコーヒーでもと思って近くにあった喫茶店に入った。タバコを吸いながらぼーっとしていたら、後ろの席のご婦人たちの会話が耳に入ってきた。どうやら、彼女たちの中の1人も歯医者さんの帰りらしかった。

 『上手な先生やねぇ』『麻酔の注射も痛くないし』後ろの席でうなずく私…そうそう。『女の子らも(歯科衛生師)丁寧やし』『やさしいし』後ろの席でうなずく私…そうそう、ついでにみんな美人。『でも、大変やねぇ、人の口の中に手いれなならんもんねぇ』後ろの席でうなずく私…そうそう、ほんと大変だと思う。『ほんと、ようあんな汚い仕事しとるよねぇ』『私なら汚なて嫌やわ、できんわ』後ろの席でうなずけな私…ちょっと待て!その言い方はないだろう!一瞬にして頭にきた!よっぽっど後ろ向いて『なに!言うとるん!』って怒鳴りたくなった。

 なぜ?そんな考え方になる。『いい衛生師さんやねぇ』→『大変やねぇ』→『汚い嫌な仕事やねぇ』→『ようあんな仕事しとるねぇ』…これは違うだろう。

 『いい衛生師さんやねぇ』→『大変やねぇ』→『汚い嫌な仕事やねぇ』→だから『偉いねぇ、ありがたいねぇ』と、なぜ感謝の言葉が出でこないのだろう?

 自分が嫌で出来ない事(仕事等々)、自分が汚くてしたくない事。それが出来る人は、自分より偉い人(尊敬、感謝の意味)なのではないだろうか。なぜなら、自分の出来ない事をしているのだから!

 よく自分の親の仕事を『あんな仕事』と嫌ったり『蔑視』したりする人がいるが…それにも同じ事が言えると思う。自分が嫌い蔑視する仕事を親が歯をくいしばり、辛いときも苦しいときも働いて、その労働で得たお金で、自分は育ってきたはずである。これはどんなに否定しても、現実・事実である。ならば、親の仕事を否定することは、それはそのまま、自分を否定することになる。今存在している自分を…!この喫茶店のご婦人もしかりである。歯科衛生の女性を蔑視することは、今喫茶店でコーヒーを飲みケーキを食べている自分を否定することになる。その歯科衛生師の女の子がいなければ…あなたが軽視する仕事をしてくれていなければ…今ここでケーキなんか食べていられないだろう。まだ歯の都合が悪くて痛がっているかもしれない。いや、たぶん痛がっているだろう。

 嫌な仕事、汚ない仕事と思うなと言っているのではない。私には出来ないと考えるなと言っているのでもない。誰もが、やはり楽をしたいし、汚ないことは嫌だろう。だからこそ…自分が出来ないことをしている人は、それだけで敬意をはらわなければならないと思う。(歯医者と喫茶店3へつづく)

合掌

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