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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の四十五
【比翼連理】
[2010/07]

 中国の古い詞に、「願わくば空においては比翼の鳥のごとく、地においては連理の枝のごとくあらん」‐「比翼連理」と云う一文があります。比翼とは、雌雄それぞれ一つの目、一つの翼で常に一体になって空を飛ぶ鳥の事。連理とは、一本の木の枝が、他の木の枝ト連なり、あたかも二本の木が一本の木に見える様の事です。共に人生を歩んでいこうと誓いあう男女の愛のふかさを歌った詞です。

 結婚式の披露宴でスピーチがあたるときは、決まってこの詞を使わせもらい、新郎新婦の末永き愛情を願わせてもらっていた。先日親戚の結婚式に招待され、親族代表としてスピーチすることになり、久しぶりにこの詞を読み返してみた。

 じっくり読むと…なるほど、これは確かに男女の愛の深さを詠んだ詞ではある。が…雌雄と2本の木の所を『あらゆるもの』に置き換えても意味が通じることに気がついた。と…いうより…そう詠んだほうがいいんじゃないだろうか。

 互いに支えあい、片方が死ねばもう片方も生きてはいられない…大げさかもしれないがそれは、家族、町内、市町村、都市、国、そのどれにも言えることではないだろうか。家族のなかで各々が勝手気儘に好き放題に生活し始めれば、たちまち家庭は崩壊する。それは町同士でも都市同士でも国同士でも同じことが言えるのではないだろうか。

 『比翼連理』と云う詞は、共に支えあって生きている、共に影響しあって生きている現実を、男女の愛の深さになぞらえて、私たちに気付かさせてくれているのではないだろうか。

 誰の世話にもなってない!私は1人で生きてきた!と豪語する人も、産まれるそのときすでに、母親の力やたくさんの助産婦さんの助けをすでに借りている。俺が稼いだ金で食ってるんだと豪語する人も、食べているお米を自分で作ったわけじゃない。物を売る人がいるけれど、買う人がだれもいなければなりたたない。自分の家の前だけ綺麗に落ち葉を掃いても、ひと風吹けば元の木阿弥。あらゆることが、互いに支え、助け、守り、育てている。

 私たち(いろいろな物事も)は、誰(物事)ひとり誰(物事)とも関係を持たずに生きてはいないのである。ただ…そのことに気付いていない、見えていないだけである。

 そのことの極めつけのような言葉がある。顔も知らない、会ったこともない人の法事(曾祖父母等の50回忌など)をなんでせんなん!と言いはなった年配の男性がいた。この男性の言葉こそ、大切なことが見えていない!見ようとしていない決定的な言葉だと思う。

 なぜなら、顔も知らない、会ったこともない、その人がいなければ、確実に自分は生まれていないのだから。そんな事実・現実さえ見失っている。顔も知らない会ったこともない人は、俺とは無縁で関係ないとするなら、私たちはみな、その顔も知らない会ったこともない人が命懸けで取ってきた魚を食べ、顔も知らない会ったこともない人が一年間休む間も惜しんで一生懸命に世話をした野菜を食べ、顔も知らない会ったこともない人が何年も悩み苦しんで発明、もしくは作り出した道具や薬などの恩恵に預かっている現実を、どう受け止めていくのだろう!ただただ『ありがとう』と言わずにはいられないと思うのだが!

 本来仏教とは、字の如く、仏の教えと書く。仏の教えとは、この目にみえないあらゆるものの繋がりに気づいていきましょうと云う教えである。人は決して(人だけでなく全て)一人ぼっちで生きているのではない。過去からつながる全て、現在でつながっているあらゆるものの中で生きている。そのことに気づいたなら…人はおのずと人に対する接し方も、自分自身対する接し方も変わってくるはずである。優しさと思いやりを持ち、節度と自制をもった『人間』に生まれ変わっていけるのではないだろうか。そしてそのことを、ひとつひとつ実感していくことが『大人』になっていくと云うことなのだと…。

合掌

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