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お坊さんの小話(法話)
〜浄土真宗〜

其の六十
【感じる心】
[2012/01]

 小学生のとき、継ぎをあてた靴下を『恥ずかしい』と言って隠す私を、担任の女の先生にこう言って叱られたことをおもいだした。

『継ぎをあててくれる人が(母親)いることを喜びなさい。継ぎのあたった靴下を履いていることは決して恥ずかしいことではありません。胸をはりなさい。僕には継ぎをあててくれる、僕を愛してくれるお母さんがいるんだと胸をはりなさい』と…。

 今思い返しても強烈な言葉である。人の愛情や思いやりを汲み取れる人になれ!というまさに教育…教え育てる言葉であった。

 大学時代、寮で同じ部屋に住んでいた(京間八畳二人部屋だった)同級生に親元から荷物が届いた。荷物の中身は、ミカン箱いっぱに詰まった日用品や食べ物、野菜だった。パンツやタオル、お菓子や大根等々。同級生いわく『こんなもん送ってこんでも、こっちに売ってるのに…』『本当に…こっちにも売ってるね』その言葉にこう返した後で一言付け加えずにはいられなかった。『でも…』『だれがパンツ一枚送ってくれる?だれが買ってまで大根一本送ってくれる?親ならではやね…ありがたいやんか』私の言葉に照れくさそうにしていた同級生がいた。

 小学校時代の担任の先生の言葉は、私の心のなかに深く染み込んだのだと思う。その染み込んだ教えが言わせた言葉であった。

 愛情は目に見えない。やさしさも、思いやりも目には見えない。慈愛も慈しみも目にみえない。けれど、それを感じとることはできる。汲み取ることや気づくことはできる。殺伐とした、損だ得だとさわぎたてる、毎日、人が殺されるニュースが流れる、人の心が壊れ始めた時代でも、身近なまわりをみわたせば、この目に見えない愛情が、母や父、彼氏や彼女、夫や妻、おじいちゃんやおばあちゃん、友達や恩師…多くの人たちの中に溢れていることに気づくはずである。悪意や憎しみ、憎悪や差別…それらがないわけではない。それらも同じようにまわりには満ちあふれている。

 けれど、悪意や憎しみにまみれて人生を過ごすより、愛情を感じながら思いやりをもって過ごす人生の方がはるかに素敵なことは、誰でもがわかっているはずである。

 こんなお話があります。眠ってしまうと呼吸障害をおこしてしまう高校生がいます。両親は夜、交代で息子さんに付き添わねばなりません。呼吸が止まっら、起こさねばならないからです。修学旅行の季節になりました。当然両親は、本人も旅行に行くことを断念します。

一人の男子生徒が名乗りを上げます。俺らが順番に起きて見てるから一緒に行こうぜ!と…。

 修学旅行中、クラスの全男子生徒が2時間おきに1人づつ、その男子生徒に付き添う姿がありました。

 生活指導の強面の先生が『一緒に行こうぜ』と音頭をとった生徒に聞いてみたそうです。なぜ?音頭をとったんだ?と…。お前みたいな、ケンカばっかりして、人をいじめてたヤツが…どういう風の吹き回しだ?と…。

 真面目な顔をして、その生徒答えました。『だって人を殴るより、ありがとうって言われた方が数十倍気持ちが良かったから…すげぇ嬉しかったから…』

 ある時、ほんの気まぐれで、呼吸障害を持つその子に親切にしたことがあるそうです。そのときに、満面の笑みで『ありがとう』と言われたのだそうです。『生まれて初めて、こそばゆいような、なんとも言えない気持ちがよかった』その時のことを、このやんちゃな暴れん坊の生徒は振り返って話します。

 私たちは、こんな単純な簡単でストレートな気持ちを、いつ、どこで、無くしてしまったのでしょうか?いつのまに、こずるい大人になってしまったのでしょうか?

 人の気持ちを汲み取る心。素直にありがとうと言える心。

どれだけ歳を重ねても、いや、歳を重ねれば重ねるほど無くしてはいけない大切な2つの心…。

合掌

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