【書き下し】
蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の薗に入りて応化を示すといえり。
【現代語訳】
如来の世界は、泥の中から清浄(しょうじょう)な花を咲かせる蓮華(れんげ)にも喩えられ、煩悩の泥にまみれた人間でも、如来の光に照らされて、清浄でいきいきと輝く身になります。
そうなると、煩悩がどれだけ出てきても、苦しみは長続きせず、尾を引きません。煩悩に煩(わず)わされながらも、遊ぶかのように、余裕(よゆう)をもって苦しみ、余裕をもって腹を立て、余裕をもって悲しめるようになるのです。一歩ひいて、自分を見直すことが出来るのです。
そんな生き方をしている人は、まわりの人に励(はげ)ましを与えます。本人は意識もせずに、念仏してごく普通に生活しているのですが、まわりの人に何かあたたかいものを感じさせます。
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