【書き下し】
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
【現代語訳】
中国の曇鸞(どんらん・476〜542)は、得が高く、当時の梁(りょう)という国の皇帝はいつでも曇鸞の住む土地に向かって礼拝(らいはい)し、菩薩(ぼさつ)と仰いでいました。
曇鸞はある時、病気になり「仏教を勉強するためには、健康で長生きをしなければいけない」と、仙人の不老長寿(ふろうちょうじゅ)の秘法(ひほう)を学びました。秘法を会得(えとく)した曇鸞は、菩提流支(ぼだいるし)という高僧に「不老長寿に勝る法はないだろう」と自慢(じまん)したのです。すると、菩提流支は言下(げんか)に「少しぐらい長生きしても、今この人生の意義に目覚めなければ、空しく死ぬだけだ。人生は長さではない、深さだ」と曇鸞を叱(しか)りつけ、浄土の経典を授(さず)けました。
さすがに曇鸞は自分の過(あやま)ちにすぐ気付(きづ)き、仙人の聖典をその場で焼き捨て、深く浄土の教えに帰したのです。
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