【書き下し】
生死輪転の家に還来することは、決するに疑情をもって所止とす。すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもって能入とすといえり。
【現代語訳】
人が迷いの家から抜けられず、死後を心配したり、日の善し悪し、霊の祟(たた)りなどをおそれるのは、「念仏したぐらいで、どうなる」と、本願を疑っているからです。人生を、いきいきと何ものも恐れず充実させるためには、本願を信じ念仏する、これが要(かなめ)です。
聞法を重ね機(き)が熟すれば、本願の光の中に生かされて、輝いている自分を発見します。その時、不思議にも、生きとし生けるものすべても、本願の光を浴びて輝いていることに気付くのです。
自他の輝きを知る世界は、すでに浄土と通じています。本願を信じ念仏する身になれば、今、娑婆世界(しゃばせかい)にあって浄土に通ずる「いのち」を賜(たま)わるのです。
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