其の四
【 倶会一処(くえいっしょ) 】
子どものころ、テレビの中で活躍していた人たちの訃報(フホウ)を最近よく聞くようになった。折りしも、この原稿を書いている時にドリフターズの元メンバーである荒井注(チュウ)さんの訃報を聞いた。
『なんだバカヤロー』というギャグで一世を風靡(フウビ)したその人である。後にも先にも相方やメンバー以外の人を、まして画面のこちら側の人を罵倒(バトウ)して人気が出た芸人は、彼ぐらいではないだろうか。
例にもれず、ワイドショーはその告別式の一部始終を私たちに知らせてくれます。その中で、ドリフターズのリーダーいかりや長介さんの弔辞(チョウジ)は秀逸(シュウイツ)であった。
荒井注さんの遺影の前で注さんと共に過ごした人生を振り返りながら、注さんの人となりを一通り語り終えたそのあとで、いかりやさんはこう述べた。
『行くなとはいわない、だから気をつけて行け。ついたら場所を取っておいてくれ。オレも行かねばならないから。かならず』
そして一時の沈黙のあと、たった一言…
『いずれまた……』
そう締めくくった。
亡き人の冥福を祈る弔辞は数多くある。僧侶という立場上、そういう弔辞はよく耳にする。そのどれもが、私は生きている、あなたは死んでいるという、生と死を分けた処(ところ)に立っているものである。生きている私が、死んでゆくあなたを送るのだという。
いかりやさんの弔辞は、あきらかにそれらとは一線を画していた。生と死を分けるのではなく、生と死を一つのものとした弔辞であった。
そこにあるのは人間の無常さを感じとり、自分もまた死んでゆかねばならない身であるという事実をしっかりと受けとめている姿であった。死してなお、大切な友人と会いたい。いや、会わねばならないという堅い決意がそこにある。それは、生前のふたりの関係がどういうものであったのか、人間同士として、どういうつながりであったのかを、おのずと知らせてくれる。
縁ある人の通夜や葬儀に弔問(お参り)するとき、私たちは、実は亡き人からこの事を問われてあるのでる。
『あなたは、自分が死ぬときに、必ず会い行かねばならないという人をお持ちですか?』
『自分が先に亡くなっているのなら、死んでなおかつ私に会いたいと思ってくれる人をお持ちですか?』
と……
そう云う人間関係を持つ人生を送ってくださいと、そう願われているのです。
私たちは、かならず行かねばならない場所を、ちゃんと見据えて生きているでしょうか。そして、その場所で切にまた会いたいと思えるほどの愛情や友情で結ばれた人間関係を持っているでしょうか。
『かならず』と誓い、
『いずれまた』と締めくくれる。
合掌
[2000/03]
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