其の十一
【 祖母の遺産 】
小学校三年の時から母親の居ない私達兄弟の食事は、昨年九十六歳で亡くなった祖母の担当だった。ちなみに掃除は私、買い物は弟と役割分担をしていた。
あれは、私が高校生の頃の事である。その日私は学校帰りに友達とラーメンを食べて帰宅した。あろうことか…夕食は豚カツ!。もちろん食べれるはずもない。「いらんわ」と言って自分の部屋へ…。次の日、夕食の食卓には見覚えのある豚カツが!!。こんなん食べれるかと、また自分の部屋へ…。しかし次の日も食卓にあるのは豚カツ!!!。いささか三日目にもなればあきらかにいたんでいる。こうなれば意地である。また食べずに部屋へ…。で、次の日も豚カツ!!!!。「なに、これ、ばぁちゃん!」と声を荒げると、祖母が一言。「ババがせっかくお前たちに食べさせようと慣れんもん作ったのに。一口も箸をつけんとは、作った人に対して失礼やろ」と。
これには正直まいった。今まで、食事が出てくる事など当たり前だと思っていた。作ってくれる人の気持ちなど考えてもいなかった。「ごめんなさい」もうこの言葉しかなかった。すると祖母は、いたんでいるカツをさげ、そっと作ってあった新しいおかずを出してくれた。一言ごめんなさいと言えば、いつでも出せるように準備しておいてくれたに違いない。また頭がさがった…。
思えば祖母からは色々な事を教わった。当時は口うるさい事ばかり言ってと思う事ばかりだったが、祖母がいなくなった今やたらと思い出す。「人は死んだらゴミになる」と言った有名な医者がいた。しかし、それはあまりにも「人間」というものを見ていない言葉だろう。人はゴミになどなりはしない。やはり「仏」になる。「仏」となって祖母は今でも私を導いてくれている。「他の人の気持ちをくめ、痛みを知れ」と声が聞こえる。
「相続」という言葉がある。普通、家や財産を受け継ぐ事として使われている。しかし、形ある物だけが相続ではない。親から子へ、子から孫へと伝えられていく躾けや知恵。礼儀や行儀。それをきちんと受け継ぐ事こそが、相続の本当の意味のように思えてならない。
合掌
[2003/10]
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