其の十三
【 いただきます 】
ここ数年テレビは、恐ろしい事件をまるでビデオを早送りするかのように私達に見せてくれます。そんな中でもとりわけ気になるのは「殺人」です。親が子を、子が親を、夫婦や同級生、はては誰でも良かったなどと…。
そんな日常の中で私達には、知らず知らずのうちに「いのち」に対しての感覚を鈍らせしまってはいないでしょうか?
仏教用語のなかで「殺生」っという言葉があります。「あらゆる命あるもの」の命を奪う事なのですが、仏教の戒律の中では最大の罪として最も強く禁じられています。と同時に仏教は、人間が生きていく為には、他の命を奪わなければ生きていけないという自覚に立って、この最大の罪を人間の根本問題として考えなさいとも言っています。
私達の宗派、浄土真宗の開祖親鸞聖人は「殺生」が最大の罪とされている事は、「殺さなければ生きていられない人間の事実」を仏が知らせんとしているのだと理解しました。それは「殺生」を「最大の罪」として示す事によって、私達に命に対する「悲しみ」や「痛み」の感覚を実感させ、そして「人間の事実」への自覚へと導くのだと…。
まさしく私達は日々の生活の中でいくつも命を奪って生かされています。それは私達が食べている肉や魚、野菜にいたるまですべてが命ある生き物であるからです。しかし、それらの命を奪っているという実感はまったく無いといっていいでしょう。牛肉を食べて牛の命を感じたり、焼き鳥を食べて鶏の命を感じたりする事がほとんど無いのが良い例です。笑い話しのような実話があります。ある小学校で、鮭の絵を描きなさいと言ったらクラス全員が鮭の切り身の絵を描いたそうです。切り身からは、泳ぐ魚を想像できなかったのでしょう。
皆さんは、子供の頃から「いただきます」と手をあわせて食事をしていませんか?それを宗教につながるからと禁止して笛の合図で給食を食べている小学校があるそうです。「いただきます」の本当の意味を理解しているのでしょうか?「いただきます」のその言葉の上には「いのち」がつくのです。「いのちいただきます」、そして「いのちごちそうさま」なのです。
生ある物を殺して食べる事で自分の命をつないでいると理解し、実感し、感謝する事こそ命の大切さを知ることにつながるのではないでしょうか?
この教えは、これから大人になっていく子供達に、私達大人が示していかねばならない大切な教えであると信じています。
合掌
[2004/07]
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