其の十九
【 惑う 】
あるお宅へお参りに行った時の話である。読経を終え、世間話も一段落したので、では失礼しますと席を立ったその時、そのお宅の奥さんが「ちょっといいですか?」と私を呼び止め、そして「お坊さん、悪いけど帰り際に便所にお経一巻上げて行ってくれんけぇ」と…「えっ!」一瞬目が点に。便所にお経ってそりゃなんじゃ?と聞き直すと、奥さん曰く、「お坊さんも知っとるやろうけど半年前に家新築したやろ」、「そりゃ知っとるって。新築の座敷開きに呼んでもらったさかい」と私。さらに奥さん曰く、「その時に家相見てもらったんや。そしたら今まで便所だった所が鬼門だと言われたんで、今の所に作ってもらったがや」、「家相見てもらって作ったんならそれでイイがいね」と私。すると「そうでないがやて。新築してからもう一度家相見てもらったがや…そしたら今度は今の便所の場所が鬼門や言われて…もう大変や。頼むさかいお経一巻たのん」なんじゃそりゃ!取りあえず奥さんに聞いてみた。「家相信じて見てもらったがやろ。それなら今また直せばイイがね」すると奥さん目をひんむいて「なに!言うがいね。何千万もかけて家建てたがに、なんでまたお金かけて直さなだめながね。もったいない」キッパリとそう言い切るのです。
さて、この会話。どう感じられますか?人間って勝手な生き物だと思いませんか?たまたま家を新築する時だから家相見てもらって言う事に従った。でも次見てもらったけれど今度は新築の後だったから、もったいないので従うのをやめた。でも気持ち悪いからお坊さんのお経一巻で無いことにしてしまおう。つまりこう云う事でしょう。八封だ占いだ風水だ家相だ墓相だと、なんだかんだ信じる素振りを見せていても結局の所、自分のできる範囲の事は信じて、無理な範囲は都合のイイようにしてしまう。つまり信じてなどいないのです。なのに惑わされる。
これと似たようなお話をもう一つ。ある所に、五郎兵衛さんというお爺さんがおりました。お婆さんに言われて、自分の畑に大根のタネを植えに出かけて行きます。すると向こうの方から隣のお爺さんが歩いて来ました。「あれ五郎兵衛さん、どちらへ?」、「おーわしゃ今から大根のタネ蒔きに畑に行く所でな」そう言って通りすがろうとすると、ふと隣のお爺さんがホッペタを押さえているのが目につきました。「爺さんや、あんたホッペタ押さえてどうした?」すると隣のお爺さん「ああこれか、わしゃ昨日から歯がいたくて歯医者に行ってきたところで、歯虫に食われて大変じゃ」これを聞いた五郎兵衛さん、歯虫に食われた…はむしにくわれた…葉虫に食われた。「ありゃ今から蒔く大根のタネ、葉虫に食われたら大変じゃ。やな事聞いた今日はやめじゃ」。そう言って帰ってしまいました。
次の日、今日は蒔いておいでとお婆さんに言われて五郎兵衛さん自分の畑に向かって歩いております。すると向こうの方から今度は向かいのお父さんが歩いて来ました。「五郎兵衛さんどちらへ?」「おーわしゃ昨日訳あって大根のタネ蒔けんかった。今日こそ蒔こうと思って…」そう言いながらすれ違いざまに、ふと思いたって「そう言えば向かいのお父さんや、あんたの所の息子、大工の見習いに行っとるのどうじゃね?」すると向かいのお父さん「お、あれか、真面目に働かんもんで、なかなか目がでんわ」これを聞いた五郎兵衛さん、なかなか目が出んで…なかなかめがでん…なかなか芽が出ん。「ありゃ今から蒔く大根のタネ、なかなか芽が出んかったら大変じゃ。やな事聞いた、今日はやめじゃ」そう言ってまた帰ってしまいます。
さて次の日。さすがに三日目です。お婆さんはカンカンです。五郎兵衛さん、決死の覚悟で今日こそはタネを蒔こうと畑に向かいます。すると向こうの方から在所のお寺の住職が歩いて来ました。五郎兵衛さんすかさず「住職、わしに話しかけず、黙ってわしを通してくれ」、これには住職もびっくりして「五郎兵衛さんどうした?」黙って通せと言われれば、何か聞きたくなるのが坊主の性と云うもので、何かあったのならわしに話してみろ、いや黙って通せ、いや話せ、黙って通せの押し問答。とうとう五郎兵衛さん住職の根気にまけて話し始めます。大根のタネを蒔こうと一昨日から畑に通うとります。一昨日は隣のお爺さんに『はむしにくわれた』と言われたので蒔けんかった。昨日は向かいのお父さんに『なかなかめがでん』といわれてまた蒔けんかった。だから今日こそ蒔かんと、わしゃ婆さんにしかられる。頼むこっちゃ何も言わんと通してくれ。五郎兵衛さん住職に哀願します。すると住職は、呆れた顔で五郎兵衛さんに向かってこう言います。「お前はアホか!そんな、根も葉もない事を信じて…。」五郎兵衛さん「今度は根も葉もないって言われたぁ」と大泣きしてしまいました。
まるで笑い話ですが、どうでしょう。日々の私たちの生活も、以外とこんな様な事に惑わされていませんか。信が迷うと書いて「迷信」と読みます。「信」は「心」につながって「芯」にいたる。心の中心。「芯」の部分が迷ってはそれに惑わされるだけで、何も見えてきません。「芯」の部分をしっかりと、ぶれないように日々過ごしたいものですねっ。
合掌
[2006/07]
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