其の二十三
【 今現在説法 】
以前にも書いたが、小学校三年から母親のいない私たち兄弟を、母親代わりに育ててくれた祖母の、今年は七回忌にあたる。生きていれば百三歳。その祖母についてのお話を少々。
小学校の時、家の屋根の上で遊んでいると、下から祖母の声が…。「修!そこから落ちたら死ね!」、「こんな所から落ちてもケガするだけで死なんわ!」と私。すると「だから、ケガしてもババは看病できんから、死ね」と。つまり、危ないからすぐ降りろと言うことらしい。
それからこんな事も、テレビのニュースで、小学生が誘拐されたと聞くと、「なぁ修。誘拐されたら諦(あきら)め」、「えっ?」、「だから諦め。うちは貧乏寺で身代金が払えんから、悪いが諦めてくれ」真顔で言うのである。子ども心に絶対誘拐されんとこう!と強く思ったもんだった。よく考えたら、身代金の払えない貧乏寺の子どもは、まず誘拐はされないだろうに…。
弟にいたっては、喧嘩に負けて帰って来ると、「もう一度行ってこい。勝つまで帰って来るな」と家の中に入れてもらえなかった。行くにも行けず、帰るに帰れずぐるぐる寺の周りを回っていたのを思い出す。
こんな祖母も、六人の母親であった時には、こんなエピソードがある。祖母はひどく乗り物酔いする人だった。具合が悪くて呼んだ救急車にさえ酔って大変な事になったこともあった。その祖母が、戦後物のない時代。闇市に買い出しに行く輪島から七尾への汽車にだけは、酔わなかったらしい。母親の一念。そんな事を感じさせる話だった。ガンコな言い方や行動も、その根底には母親のいない二人の孫が、真っ直ぐに力強く育って欲しいと云う願いがあった。
そんな祖母が、亡くなる間際まで事あるごとに私に言い聞かせた言葉があった。(今現在説法・2につづく)
合掌
[2008/03]
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