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bodhimandala

阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の三十
【 運命と宿命・1 】

 ある男性から、こんなメールを頂きました。

 『人との運命的な出会いをして…、俺はこうなる宿命なのか…なんて事を考えながら、ふと以前テレビで細○数子さんの話しで運命と宿命は違う。運命は生まれる前から決められている。宿命は自分がしたことにたいしてそうなるように決められていくもの。簡単に言うとこんな説明をしていたのを思い出した。良いことも悪いことも全ての物事が「運命」や「宿命」で決められているのなら人は考える必要がなくなってしまう…』

 メールの最後に「○○さん(私)はどう考えますか?」とありました。今回は、その男性に宛てたメールをそのまま載せました。

 生まれる前から決められているものを『運命』という言葉であらわすとすれば、それは違うだろうと!だいたい運命という言葉は使わないようにしてます。特に真宗のお坊さんは使いません。私的には、運命という言葉は無いと思ってるから。そんなこというとエッて思うかも知れませんが、明治に入るまで『頑張る』って言葉は無かったんだから。明治時代に出来た新しい言葉なのですよ。とうぜん今の意味の言葉も無かった。びっくりでしょう。運命って言葉は、たぶんどうにもならない出来事を納得させるために、人が早い時期に作った言葉でしょうね。ネガティブに考えるなら諦め。ポジティブに考えるなら 前に進むため。人の知恵かなぁ。結論としては、生まれる前から決められているものなんかない!故に運命という言葉自体無いというのが私の『決』です。

 『風が吹けば桶屋がもうかる』この笑い話が、じつは「運命」と云う言葉の無意味をあらわしていると思う。ひとつの物事が起きるのに、その原因は決してひとつではない。いくつもの要因が、絡み合い、ねじれ、互いに影響しあい、反発しあい、はじめて物事がおきる。でも、その要因のひとつひとつも、また無数の要因でなりたっている。そして…その要因もまた…きりのない話しである。そして、その無数の要因のたったひとつでも…違えば…今とは違うものになっていく。こんな危うい、不安定な、どうにでもなるような未来の結果を、どして始めから決まっていると言えるのでしょうか?ほんのちょっとした事でさえ、自分のあずかり知らない所の違いさえ、大きく影響してしまう未来なのだから…。(運命と宿命・2つづく)

釋 完修
合掌
[2009/12]

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