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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の四十四
【 護持相続・2 】

 こんな祖母であったが『躾(しつけ)』は驚くほど厳しかった。箸の上げ下げから履き物の脱ぎ方、はては障子や襖(ふすま)の開け方まで…ひとつひとつ耳にタコができるくらいやかましく言われた。箸は出来るだけ先から3センチぐらいを使って食べるのが見良い(綺麗に見える)、それに物を食べるときは口を閉じて食べる!決して開いて食べるな!見ている人が不快になるから。誰があんたの食べている口の中なんか見たいもんか!とか、履き物はちゃんと揃えなさい。特にトイレを借りた後は。なぜなら…トイレにはたいてい急いで入ってくる。そんな時履き物が揃えてなかったら、いらん時間とらせるやろっ。すぐ用を足せるように揃えておくもんや!とか、障子、襖は座って開け閉めするもんや!とか、いつだったか姿勢が悪いと言われて、背中に長い物差しを入れられて、このまま歩け!と言われたこともあった。書き出せばきりがない。

 今思い返せば、そのどれもが理にかなっていて、そして見ていて綺麗に見える所作である。躾…まさに字の如く…身を美しくする(見せるor魅せる)ためのものであった。心は硬軟自由自在にやわらかく、所作はきちんと美しくが、祖母の育て方だった。

 今と違い、40年前は夫婦の離婚は珍しかった。父子であれ母子であれ片親しかいないと云う事実は、ある種の偏見をもって見られる時代だった。それ故、同じイタズラをしても『あそこん家は母親(父親)が居ないからシツケがなってない!』と影でよく言われたものだった。もちろんそんな人達ばかりではないが…。祖母も、そう言われることは十分承知していた。祖母自身も夫を早くに亡くし、女手ひとつで6人の子供を育ててきたのだから。それ故にか…祖母自身の性格はよく言えば『キチンとしっかり』悪く言えば『キツ』かった!

 こんな祖母が『母親』だった。良いも悪いも私にとって祖母の影響は絶大なものがある。ものの見方、考え方。仕草や態度。どれをとっても、なんらかの影響を受けている。私にかぎらず、子は親の影響を強く受けて大人になっていく。考えてみれば恐ろしいことで、親の一つ一つの言葉や態度が…1人の人間(子供)をどういう人間にするか決めてしまうのだから。これは決して大げさな言い方ではないと思う。今…親になっている自分を見てみると…果たして祖母のような『親』になっているだろうか?『厳しさと優しさ』をもった。祖母が亡くなって…今年は十年目になる。来月6月は祥月命日…しみじみと祖母を思い出してみる。

 今でも心の底に深く残っている忘れられない言葉がある。祖母に言われた、恐ろしく、そして哀しく、それでいて強い愛情に溢れた言葉『おまえが…もし人を殺(あやめ)ることがあったら、世の中だれが許しても…ばばが許さん!ばばがおまえを殺(しまつ)する!…心配するな…1人では逝(やら)ん!…ばばもいっしょについていってやる!!』…凄まじいまでの親としての覚悟。この覚悟が私にあるだろうか?持てているだろうか?問い続けていかねばならない問いである。

釋 完修
合掌
[2010/06]

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