其の四十八
【 過去・未来・現在 】
①茄子2㎏を洗う。
②茄子にミョウバンを振りかけて、手で擦り込むように塩(200㌘)を加えてもむ。
③砂糖(500㌘)、ビール(発泡酒)1缶を加え、押し葢をする。
④茄子の2~3倍の重さの重しをする。
⑤一晩置いて、水が上がってきたら、上下を入れ替えする。その際に、底に塩と砂糖が沈んでいたら、漬け戻す。
⑥丸一日ほどで食べられる。
あとは自分の好みの塩梅と云うことで…。茄子のビール漬けの出来上がりです。「で、その味は?」月参りに参詣して、なぜか漬物の漬け方を説明している私に、その漬物好きの奥さんが聞いてきた。「ぬか漬けに近い味わいだけどちょっと違う、でも美味しいですよ」と私。
漬物談議は続く…「ぬか漬けといえば、うちもお祖母ちゃんがよく漬けてたわ。亡くなってからは私が後をついだけど、どうしても同じ味にならなくてねぇ。それで漬けんようになって…」と奥さん。あれ?どっかで似た話し聞いたぞ…。あっ!二日前にお参りに行ったお宅の奥さんからだと思い出した。
今住んでいる場所と別の所で家を新築した。だんなさんが漬物好きなので、ぬか床も引っ越しさせた。ところが、どんなに頑張っても上手に漬からなくなってしまった。それどころか、ぬかにカビまで生えるようになったと云う。
同じ味にならない。なぜだろう?その答えは能登にありました。能登沖地震で奥能登の多くの造り酒屋が廃業を余儀なくされました。倒壊した酒蔵を建て直すのに莫大なお金がかかると云うのが主な理由です。しかし、それは表の理由で、その実、この「同じにならない」と云うのが切実な理由でした。五十年、八十年、百年と酒を熟成させてきた酒蔵は、それ自体に酒を育てる菌が住み着いているそうです。故にその酒蔵が倒壊した今、同じ味の酒は造る事が出来ないそうです。漬物もお酒も『今(現在)』が作り出しているわけではないということです。『過去』から脈々と積み重ねられたものの上にあって初めて作り出されるものであるということなのです。
こんなお話があります。ある住宅地でここ十年間に三回も床下浸水をした地域がありました。住民はほとほと困り果てていました。ある時…その地域の自治会長が気づきます。この地域に昔からある村は一回も床下浸水をしていないことに。不思議に思った会長さんは、村の長老に訪ねにいきます。『長老さん、私たちの住宅地はこの十年間に三回も床下浸水しとる。なのに、なんでこの村だけ水がはいってこんのや?村の周りの住宅はみんなやられとるのに…』そう問かける会長を笑いとばして長老はこう答えます。『そりゃ当たり前やがなっ!私たちの村は水がつかん(床下浸水)ところに村を作ったんじゃから…』と、続けて長老は『私らの先人が、じい様やひいじいさんや、ひいひいじい様たちが、長年ひどいめあいながら、学んで考えてそしてこの場所に村をたてて落ちついたんじゃからあたりまえじゃ』
目から鱗の話ではないだろうか!つまり、何回も床下浸水をした村は、そのたびに村を水のつかない場所に移動しながら生活をしてきたと云うことなのです。結果長い年月の間に決してとは言わないまでも、ほぼ100%床下浸水などしない場所に村があると!そして、水がつく水がつくと騒いでいる地域は始めから水がつく場所に家を建てているということなのです。自治会長はうーんと唸ったまま何も言えなかったそうです。
私たちは『過去から学ぶ』とか『過去を踏まえて』とかそういう言葉をよく使います。けれど本当に学んで踏まえているでしょうか?高度成長期の日本は古いものダメ、古い習慣はめんどくさい、みんな壊して新しいものを作ってしまえ的につき進みました。結果が今のこの現状です。
月参りで読経している『阿弥陀経』の中に『過去・未来・現在』というくだりがあります。過去現在未来ではなく、過去未来現在なのです。これは、脈々とうけつがれ、積み重ねられたすべてのものの上に乗っかって生きている自分に気づき、過去全てを背負い受け入れ学び、そしてきちんととしっかりと未来を見据えて…だからこそ現在をしっかりと生きることができる、だからこそ今!何をすべきかが見えてくる!という教えです。
なすの漬物一つ『今』だけではつくれない私たちなのです。今のような時代だからこそ、私たちは『過去・未来・現在』の教えをしっかりと、みにつけていかなければならないのではないでしょうか。
合掌
[2010/09]
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