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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の五十六
【 大人の叱り方 】

 その昔…今から26年ほど前、こんな私も大学で高校の国語教師教免の単位を修得していた。当然教育実習というものがついてくる。

 二週間だっただろうか?

 母校に帰って実習をさせてもらっていた。高校生は育ち盛り。当然運動部の子達などは朝からお腹を空かせてるものだった。3限目の国語の授業。持って来た弁当に箸をつける生徒がいた。俗に言う早弁である。おいおい…いくら教育実習生の授業でも、机の上に乗っけてはないだろう。本で隠してはいるけど…。早々、授業を進めながら(授業の詩の文章を朗読しながら)そっと背後から近づいて、持っていた教科書で軽く頭に一発、ぱーん!で一言…『もうちょっと遠慮して食わんか!!せめて机の中に弁当箱は入れて食え』殴られた生徒はその叱られ方にびっくりした様子だった。と同時に教室内は爆笑の渦となった。

 実習の終わりの日に、早弁を叱った生徒からメッセージをもらった。『あんな叱られ方したのは初めてでした。これからはしません』と…。そのメッセージに、こう返事をしたのを覚えている。『腹がへるのはしかたない。早弁もいいだろう。でも遠慮しろ。先生は一生懸命に授業してるんだから。そこのところはちゃんと考えろ。失礼だろう』と。

 もう一つ、似たような話がある。これは私の同級生だが…昼間コンビニの駐車場の隅で五人ほどの高校生がタバコを吸っていた。早々友人はそばによって一言。何をこのオッサン!という態度で身構える高校生に『お前たち、タバコを吸うなら向こうにある灰皿を持って来て吸え。火の始末も危ないし、吸殻でゴミだらけになるだろうが…。で、吸い終わったら灰皿は元の場所に返しとけ!』キョトンとした表情のその後で、驚くほど元気な声で『はい』と答えたそうである。

 同級生も私も、高校時代はそれなりにそれなりの学生だった。一通りの男子学生が通る道は通ってきた。部活が終わり部室で、運動の後の一服や!などと意気がってタバコを吸っていた。早々顧問の先生が見回りに来た。慌てて火を消して灰皿を隠し、部室に立ちこめた煙を手足をバタバタさせてわからなくして(今考えれば滑稽なことで、そんなことをしても分かるってなもんである。そんなことより窓を開けろって今なら思えるのだが…)先生を迎え入れた。

 『お前たち何してる?』『ちよっと部室の整理を…あんまり汚ないんで』

 『……………………』しばらくの沈黙の後

 『よし!わかった』そう言って部室の出口にむかいながら、私たちに背中を向けたまま一言…『火の後始末だけはシッカリしとけよ!』

 全部お見通しなんや。部室で吸うのはやめようぜ。そうお互い話をしたのを覚えている。と、同時に『あんな粋な叱りかたの出来る大人になりたい』と心底憧れた。こんな出来事があった故に…前述の様な叱りか方をする二人であった。

 この前述の叱り方、そして私たちを叱った先生の叱り方を…けしからん!そんな叱り方などあるか!早弁もタバコも悪い事だ!まして未成年の喫煙は法律で禁じられている。そこをしからんでどうする!と、あるところでこの話をしてお叱りを受けた。全くもってその通りである。早弁も喫煙も悪いことである。おまけに喫煙は法律違反に間違いない。

 しかし、早弁は、一生懸命に授業をしている人に対して『失礼だろう』と云うこと、駐車場での喫煙は、『喫煙する人が行わなければならないマナー』を、隠れて喫煙する二人には、『火事にならないようにの火の後始末』を、そのものを叱るのではなく、その行為についてくる責任の所を叱っているのにお気づきだろうか。ある意味、未成年に対する大人の叱り方なのである。

 これが、人を殴って恐喝しているとか、万引きしたとか、今まさに人を傷つけようとしているのなら、その行為そのものを叱らなければならない。しかし、少年から青年に変わるその過渡期で経験していく、男子なら酒やタバコ、女子ならお化粧や髪型。そんなものに大人が必要以上に目くじらを立てるべきではないと思う。もちろん飲酒や喫煙を推進しているつもりも、目を瞑れと言っているわけでもはない。叱らなければならないことである。だからこそ大人な叱り方。粋な叱りか方が必要だと言っているのである。

 その方が叱られた方は考えなければならないから。

 法律や規則は守らなくてはならない。社会のルールだから。しかし法律だけを、規則だけを重視するなら逆に法律や規則に書いてないことは、やって良いと云う理屈になる。だって法律・規則に書いてないんだから。けれど、このことが違うということは皆すぐわかるはずである。みんなこう言うに違いない。『法律や規則は大事だけど、法律・規則に書いてなかったって、やってはいけない事はあるだろう。法律や規則で決められる前に、人としてして良いことと悪いことがある』と。

 今の社会情勢は、法律や規則に引っ掛からなければ何をやってもアリだ的な風潮である。こんな時世だからこそ、これから社会を担っていく少年から青年に変わる過渡期の子供たちにこそ、もの事の本質を叱る『粋な大人の叱り方』が必要なのではないだろうか…

釋 完修
合掌
[2011/11]

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