其の六十八
【 知恵の塊(葬式の意味・3) 】
病院で亡くなられたそうです。残された家族は葬儀会館の一室にご遺体を安置し、次の日に通夜。その翌日に葬儀。誰にも知らせず家族だけで密葬という形式で式を執り行いました。亡くなったのはΑさん(67歳)の父親(92歳)です。高齢の上、父親の兄弟もみな亡くなっていたり、入院したりしていて誰もお参りに来ないだろうという判断でした。
葬式の翌日から、Αさんの自宅にはお悔やみに訪れる人が、ひとり…ふたり…時には連日、時には隔日で訪れて来ました。そのような状態が一ヶ月近く続いたそうです。香典返しの追加注文。弔問に訪れる人の接待。そして訪れる人、一人一人になぜ密葬にしたのかを説明しなければならな状況はΑさん夫婦して、『こんなことなら、密葬にしなければよかった』と言わしめました。
別のある男性Βさんはこう言います。『家族葬と言う形で母親の葬式を出した。親族兄弟だけのほんの近親者だけで送らせもらった。それはそれで粛々としていて良かった。けれど…その後のことにほとほと頭をかかえた』と。Βさんの頭を悩ませたのは、葬式の後に自宅に訪れる弔問客の言葉でした。ほとんどの人が同じことを言ったそうです。
『亡くなったお母さんには、家(うち)のお葬式の時にお参りしてもらっている。知らせてもらわないと困るじゃないですか。お参りしてもらっているのに、お参りに来ない訳にはいかない…』
亡くなった母親は、知り合い、近所、縁ある人がなくなると必ずお悔やみ訪れるそう云う人でした。ならば、確かに、葬式の後に訪れる人も多いだろうし、そう言われて、叱られるのも仕方のないことだと言えます。
芸能人の人たち、または著名人と呼ばれる人たちは、葬式は密葬で執り行い、後日にホテルなどで『偲ぶ会』『お別れ会』を執り行う場合が多くみられます。都会では、一般人でも、それを真似、同じように密葬・偲ぶ会とするケースが増えているそうです。けれど…葬式ならば、誰でもが参列できます。しかし、偲ぶ会となれば、それがホテルなどで執り行われるなら、そこには必ず招待状を出して参列者を限定しなければなりません。誰でもが訪れるとホテル側が大変なことになるからです。
密葬といえどそれが『式』である以上、執り行うことは大変です。その後に、またあらためて『偲ぶ会』を開くとなればホテル等の場所の設定・予約。招待客の選定、招待状の配布等をしなければなりません。表現方法、言い方は悪いですが『二度手間』になっているのではないでしょうか。そして、二度、手間をかけたにも関わらず、そこには亡き人を偲べない人たちがいるのです。何か変(おかし)くないでしょうか?
仏教は実は『知恵の塊』です。そこには、さまざまな、私たちが生きて行く上でのヒント、方向、道が『教え』として『説かれて』います。
そこには、悠久の時を過ごしてきた先人たちの『経験の積み重ね』
そこには、さまざまな出来事に会ってきた『臨床事例』
そこには、悩み苦しみ、あがく、喜び、楽しみ、考えるという人の『心のメカニズム』
そこには、指が動く、足が動く、目が見える、耳が鼻が機能するという『身体のメカニズム』
そこには、自らを深く顧みるという『自己分析』
そこには、自分以外の人を正しく理解する『他者観察』
等々……。
それ故に仏教が執り行ってきた『葬式』にもさまざまな知恵が詰まっているのです。長きにわたって『葬式』という形態が続いてきたのは伊達や酔狂ではないということです。
亡くなった人を送るすべての人が、悔いを残さないように、そして真摯に送れるように、そして大切な人を喪(うしな)った悲しみから立ち直れるように、通夜葬式には『知恵の塊』が詰まっています。
みなさんは、どう思われますか……
合掌
[2012/06]
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