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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の六十九
【 葬式の意味1・2・3をふり返って 】

 『みなさんはどう思われますか?』という問いかけで『葬式の意味1・2・3』のお話は終わっています。それは、『式』の執り行い方は本当に千差万別だからです。地域によって、同じ地域でも、ほんの隣町で大きく違うことなど、当たり前のようにあることです。加えて、亡くなったその人と、送る私との関係によっても違ってきます。どちらかというと、今の世の中は、こちらの方がより複雑になっているのではないでしょうか。

 30年前に妻と子供二人を捨てて、失踪した男性のお葬式を執り行ったことがあります。生活保護を受け、公営の老人施設で亡くなったその男性の手帳の中に、なぜか娘さんの嫁いだ住所が挟んであったそうです。

通夜当日…

 娘さんはこう話しました。『葬式なんて出さないでおこうとも思いました。でも出さないより、ちゃんと小さなお葬式でも出したなら、私のこれからの自分の一生を胸を張って生きていけるような気がして…』

 亡くなった男性の息子さん。娘さんの弟さんはこう話しました。『姉ちゃん。なんで葬式なんてだしてやらんなん。お袋がどれだけ苦労したか知っとるだろうが…。30年過ぎて、おまけに死んでから、なんじゃこりゃ。俺は知らんからな…』

 娘さんと息子さんのお母さんはこう話しました。お棺の蓋をあけ、亡くなった男性の頭をなでながら…『ダラヤねぇ…こんなんになるまで…何しとったん…』

 三人の言葉に嘘はありません。そして三人の言葉はどれも間違ってはいません。間違っているなどと誰が言えるでしょう。三人の心の奥底から出てきた言葉なのですから。三人がそれぞれ『想い』を持って生きてきた、その時間が言わせた言葉なのですから。

 亡くなった人を送るとはこういうことです。娑婆に残された私たちの、腹の底からの言葉・想いが出てくるのです。腹の底からの言葉・想いがどうするかを(式)決めるのです。どれが正しくて、どれがダメだとは決められないことなのです。だから、こそ、『葬式の意味』を知っていて欲しいのです。忘れないでいてほしいのです。でなければ、後で後悔しても、もう取り返しがつかないのですから。

 後悔はするかもしれません、けれど式の意味を知り納得して、その事を背負う覚悟で式を出したり出さなかったりするのであれば、それは、後悔も納得も意味あるものになって行きます。

 縁ある人の死が、娑婆に残って生きて行く私(縁ある人すべての人)の意味あるものになっていかねばならないのですから。それが『葬式』というものなのです。

 それを踏まえた上で、あえて問います。

あなたのこれから執り行おうとしている『式』に…

『二つの情』

『送るこころ』

『知恵の塊』

この三つはありますか?

釋 完修
合掌
[2012/06]

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