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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の七十六
【 わき出る力 】

 『名刺をいただけませんか』ある男性から名刺交換を求められた。はいと返事をして名刺を手渡した。『えっ!』相手の男性は目を丸くした。ほぼ100%の確率でみんな同じ反応をしてくれる。そして必ず不思議そうにこう聞かれる『この肩書きって?』と…。

 私の名刺には、裏には小話のサイトのアドレスが文字とQRコードで印刷してある。携帯とメールアドレスも同様に。そして表にはただ『人間・高科修』とだけ書いてある。みんなこの肩書きにびっくりするらしい。

 『人間』と名刺に記してあるこの肩書きには、モデルとなる人がいる。

 『人間・植木等と紹介してください』今から20数年前、金沢のある高校に講演に訪れた時の植木等さんと司会者とのやり取りである。『俳優・コメディアン・歌手・ギタリスト・タレント』どちらでご紹介したらよろしいでしょうか?という司会者の問いに即答であった。

 植木等さんと言えば、高度経済成長時代の日本を代表するコメディアンである。1960年代に一世を風靡して、数々のヒットギャグ、ヒット曲を放った。俳優としても活躍し代表的な映画シリーズも持っていた。晩年は性格俳優として味のある演技で見る人を魅了した。司会者が言う通り、俳優・コメディアン・歌手・ギタリスト・タレントと複数の顔を持つ植木さんなのであった。そのどの肩書きでも相手を納得させうるだけのものをもっている。

 その人が『人間』とだけ紹介してくれと言うのである。その理由(わけ)は、その後の植木さんの講演内容に現れていた。

 多感でまだ社会に出ていない高校生を前に、その内容は、人として、先に生まれた者として、人生の先輩として。経験してきたこと、時代を生きて学んだこと、様々な仕事を通して教わったことを『伝えたい』と云う植木さんの『思い』のこもった話だった。と同時にそれは、娑婆を生きる『私』は『何者でもないただの人間』なのだと云う自らの存在を真摯に受けとめた『告白』の話でもあった。

 この思いと告白は、植木さんのどこから湧(わ)いて出てくるのだろうか?そのことは、植木さんの父・徹誠氏を抜きにしては語れない。

 父・徹誠氏は浄土真宗のお寺の住職であった。先の戦争の時、戦場に駆り出される若者を前に、友人知人、近隣者、親戚、兄弟、父親や母親までもが『お国の為に死んでこい』と万歳をして送り出すなかで(少なくとも両親は身を切る思いだったに違いない…)、徹誠氏は若者の手を握り『生きて帰ってこい』と言った人である。当然、非国民として投獄される。投獄された父親にかわり、僧衣を着て檀家まわりを植木さんはしなければならなかった。

 その体験は若い植木さんに多くの事を、考え、学ばせたにちがいない。

 あまりにも有名なエピソードがある。出世作『スーダラ節』の楽譜を渡された植木さんは、その『わかっちゃいるけどやめられない』という歌詞が、余りにもフザケテいるように感じられ歌うのをためらった。悩んでいる植木さんに父徹誠氏は、『人類が生きているかぎり、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これは親鸞聖人の教えに通じている。そういうものを真理というんだ。上出来だ。がんばってこい』と諭したという。植木さんは歌うことを決心した。

 父・徹誠氏の行動や言動、その根底には『浄土真宗の教え』がある。その教えは、知識として頭にあるのではなく、身体全体に深く刻み込まれたものとしてある。教えがあるから、それにしたがって行動するのではなく、私自身の行動や言葉の中にすでに教えがあるのである。

 その徹誠氏の生き方は、植木さんにも確実に受け伝えられている。

 植木さん自身も、『貧乏人の倅」』と自称し、『どん底でも平気だ』と語り、芸能界で売れる前の貧乏時代から非常に明るく、人気が出てからもその私生活は変わらなかった。また長男の比呂公一が『植木浩史』の名で歌手デビューをした時は『自分の道(人生)は自分の足で歩くもの』として一切のバックアップ゜をしなかった。その行動の中に浄土真宗の教えがあったことは言うまでもない。

 先の高校の講演での植木さんの『思いと告白』は浄土真宗でいうところの『責任と自覚』ということである。

『責任』とは、教わり学んだことを伝えていくということ。

『自覚』とは、大きな命の流れの中で生きている、ひとりの人間であることを知るということ。

この思いが『人間植木等と紹介してください』と言わせたのである。

 『浄土真宗の教え』は、机上の空論ではない。本堂の中にだけあるのでもない。ましてや僧侶の話の中にだけあるわけではない。身につまされるような話や耳の痛い話。我が身を気づかされるような法話や心に染み入る話。そんな真宗の教えの話が、いい話やったね、ほんとやね、上手な話やったね等で終わってしまっているなら、それはただ耳にしただけである。知識として覚えただけである。

 本当は、聞いた教えが、日常の生活のなかで、自分の生き方のなかで、『生きて』こなければならないのである。

 こんなお話がある。

 お釈迦さまが一ヶ月(30日間)のお話の講座を開きました。その講座に、毎日一番のりで駆けつける熱心なお弟子さんがいました。講座の最終日もそのお弟子さんは一番のりでした。しかし、いつもと少し様子が違うことに気づいたお釈迦様は、そのお弟子さんに声をかけます。

『どうしました?』『何かあったのですか?』

すると、そのお弟子さんは堰(せき)を切ったように話始めました。

『はい。一番乗りしようと今日も朝早く家を出てきました。するとここに来る道の途中で、道端でうずくまっているお婆さんにでくわしました。お腹が痛いのかしきりにお腹をさすってうずくまっています。声をかけようかと思ったのですが、今日はお釈迦様の講義の最終日。ありがたくて、ためになるお話を是非とも聞きたくて、声をかけずに急ぎ駆けつけてきたしだいです』

話終わったお弟子さんの前に立ち、お釈迦様はそっとお弟子さんの肩に手を添え…それはそれは静かに、優しく、ゆっくりと…けれど悲しい目をして言いました。

『あなたは、この29日間、何を聞いていたのですか』と…。

 ともすれば、私たちは、このお弟子さんのように振る舞ってしまうのではないだろうか…。そうならないように、植木さんや、その父親徹誠さんのように、『教え』が『生きる源(みなもと)』になるように、その事を忘れないために『人間』という肩書きを使わさせていただいている。

 どうでしょう?…

みなさんも、自分の名刺の肩書きの後に『人間』と付けてみませんか?この『人間』の二文字は、自分自身が想像する以上に、自分自身にいろいろな事を考えさせてくれるはずです。そして、そのことが、たぶん、目に見えない、けれど大切で大事なことを気づかさせてくれるはずですから…

釋 完修
合掌
[2013/01]

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