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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の九十八
【 新型コロナウイルス緊急事態宣言 】

あるお宅での会話である。

本日2020年4月9日新型コロナウィルス対策のため緊急事態宣言が発令される一週間前の話である。

『今度の法事どうしょう?ご坊さん!』

私『なにが?』

『来月の法事なんやけど、親戚から、千葉県の姉さん来るんか?とか大阪府の叔父さん来るんか?とか電話かかってくるんやけど。どうしたらいいんやろ!』

私『来んで良いって電話しまっし!』

『えーーーーー!!』っと当家のお父さん。

私『今は県から県の移動はせん方が良いよ! 県内市内は仕方ないとしても、県どうしは、別に関東、関西の人を差別しているわけじゃないくて、お互いに感染や感染拡大のリスクがあるから、地元の内輪で勤めるからって言うまっし。』

『でも、ご坊さん、爺ちゃんの法事やよ!』

私『何言うとるん。あんたら常日ごろそんなに信心深いかいね?お寺お参りに来まっしって言っても、なんやかんや都合言って来ないし、お盆は7月13日~16日(金沢は7月)やからお盆のお墓参りはこの間だやよっていっても、休日じゃないからって9日や10日が土日なら休みやからって平気で参るくせして、なんでこんなコロナが大変な時に頑張って参るって言うがいね!』

そこにいる家族全員が、黙って下を向いた。

誰かが一言いった。『本当や!』

ある別のお宅での会話。

小学生の女の子を持つ、お参りに行っている家のお母さんの話しである。

これも緊急事態宣言のでる一週間ほど前である。

『ご坊さん!学校始まるって4月から。どうしよ? 子供、行かしたくないんやけど!』

私『行かさんければ良いがいね! 親が子供の健康を思って判断するこっちゃ。市長が言ったとか、教育委員会が言ったとか言う前に!』

『でも、勉強が!』とお母さん。

私『あのね。勉強なんて、学校行ったって、行かんかって、する子はするし、せん子はせんし!』

お母さん…。『本当や!』

いつから、私たちは、自分自身の頭で、考え、判断して、決断出来なくなってしまったのだろう。

いつから、私たちは、誰かが指示をだしてくれなければ決められなくなってしまったのだろう。

いつから、私たちは、法律でしばられなくては行動出来なくなってしまったのだろう。

誰かが指示ししてくれなくても、法律で決めてくれなくても、その行動は、人として、父親として、母親として、子として、男性として、女性として、企業主として、会社員として、社長として、社員として、バイトとして、市長として、知事として、政治家として、やらねばならないこと、やってはいけないことを 考え判断しなければならない。

そして、その判断の基準を、ある人は道徳と呼び、ある人は人格と呼び、ある人は品格と呼び、ある人は品性と呼び、ある人は見識と呼び、ある人は知恵と呼び、ある人は知識と呼ぶのである。

新型コロナウィルス対策のため緊急事態宣言が発令された。テレビでは、どの職種、どの事業が休業するかが喧々諤々と議論されている。政治も様々な業種への悪い忖度をして決められなくなっている。

今は、誰もが すでに気づいている。

『自分の命を守る!と同時に自分以外の人の命を守る!そのために出来ることをする!今は、出来るだけ人との接触を避ける!』

その一言に尽きるのではないだろうか!

コロナウィルスは、その病気が発症しなくても感染していれば他人に移す。

感染しているか?感染していないかは自分自身ではわからない。

このウィルスの感染拡大を阻止することの難しさはここにある。

故に、私たちは、こう考えるしかないのである。

コロナに感染する怖さより、コロナを移す怖さを意識する。

これが一番の拡散防止につながる。

想像して欲しい。

自分が自分の子供に感染させてしまったことを!

自分が自分の父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんに感染させてしまったことを!

自分が隣の家の家族に感染させてしまったことを!

そして、感染させてしまったその人が亡くなってしまったことを!

それは、想像するだけで、いや想像などしたくもないほどの恐怖である。

どう後悔しても、どう償おうとしても、そこには地獄しかまってはいない。

人との接触を出来る限り減らす。

その一点しか、この地獄を避ける手段はない。

しかし、その手段!

人と接触しないこと!

それは決して人と人を分断することにはならない!

人と人との距離を開けることは決して人間同士の繋がりを切ることにはならない!

なぜなら、新型コロナウィルス対策での人と人との距離、人と接触しないことは、それは逆に愛情の現れである。

思いやりの現れである。

愛する人を守るために、会わない!

他の人の命を奪わないために、会わない!

そこに、ある意味、究極の愛がある!

究極の思いやりがある!

声を大にして言いたい。

今は、この新型コロナウィルスが終焉するまでの今は、会わない時間と距離が長いほど、そこには深い深い愛と思いやりがあるのだと!

釋 完修
合掌
[2020/04]

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