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阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


其の百
【 続・新型コロナウイルス 自粛警察 】

仏教には『半眼(はんがん)』という言葉があります。

仏像の目が薄目をあけているその様子のことです。

目をひらけば…

外しか見えない!

他人のあら探しや、他人をうらやむ心やら。

噂(うわさ)や中傷。

そんなものにまみれてしまう。

目を閉じたなら…

今度は内しか見えない。

自分のわがままや身勝手。欲望、嫉妬。

そんなものにまみれてしまう。

半眼は、そんな私たちに、外も内も、バランスよく見なければならない。でなければ、キチンと真実が見えてこないと説く教えです。

この教えは、また『極端』に走ることは、真実を見失うことになるとの教えでもあります。

たとえば、捕鯨を『イケナイ』ことだとしましょう。

けれど、だからといって捕鯨をやめさせるために、捕鯨船に抗議船をぶつけて抗議することは、はたして『タダシイ』ことでしょうか。

それによって船が損傷して怪我人や死人が出るかもしれません。

船からオイルがもれて海を汚染させたりするかもしれません。

そんなことになれば、それは果たして『タダシイ』ことでしょうか…。

たとえば、堕胎手術は『イケナイ』ことだとしましょう。

けれど、だからといって堕胎手術をしている医師をピストルで撃ったり、堕胎手術をしている病院に火をつけたりすることは、『タダシイ』ことなのでしょうか…。

そんな極端な!と思われるかもしれません。

けれど前述の二つの例は実際におこなわれた事なのです。

前述の行為をおこなった人は、自分の行為を正当であり、犯罪だとは塵(チリ)ほども思っていません。

私たち人間は、しっかりと、確実に、自分自身で意識していなければ、簡単にこの『極端』に走ってしまいます。

それも正義という名のもとに。

新型コロナウィルスの感染拡大がおさまりをみせない2020年5月13日現在、『自粛警察』なるものがちまたには放たれています。

『自粛警察』とは、緊急事態宣言の下、外出自粛や営業自粛に応じない人や店舗に対して、私的な取り締まりを行う一般市民のことです。

市民が自粛を求めたり、互いに自粛をお願いすることは悪いことではありません。

ただそれが、極端に走り『正義の鉄槌』にったなら、それは『犯罪』になってしまいます。

無観客ライブのネット配信をしたライブハウスに対して、嫌がらせの張り紙をしたり、ホームページに誹謗中傷の書き込みをしたりすることは『脅迫罪』であり『威力業務妨害罪』です。

他県ナンバーの車に、石をなげたり、傷をつけたり、あおり運転を行うことも、もちろん『犯罪』です。

ネットで、新型コロナに感染した人やその家族を攻撃したり、その氏名や勤務先を拡散させる行為も『名誉毀損罪』等にあたることもあります。

自粛要請を真面目に守っている人たちからみれば、自粛要請を守らない人たちは、怒りの対象にしかならない心情もわかります。

しかし、それを正義の名の下に鉄槌をくだしたならそれは犯罪になります。

『正義』という漢字は

『義が正しいか?』という意味です。

義が正しいか?という意味は、人としての良心・倫理にかなっている。人としてふみおこなう行為。今それを行おうとしている私よ!その正しいさは、自分の「正しさ」ではないのか、他人の異なる「正しさ」を考えていないのではないだろうか?と立ち止まって考える。先ずそれが正義の意味なのである。

故に正義の鉄槌的な自粛警察のおこないは、正義ではなく犯罪になってしまいます。

どうか、今、自粛警察を自称しているみなさん。

今、感染した人や家族。また感染した患者さんを治療している方々を攻めよしているみなさん。

攻めるまえに、誹謗中傷するまえに、石を投げるまえに、今一度、自分の「正しさ」に疑問をもってください。半眼の心で自分を見てみてください。

そうすれば、おのずと、ほんとうに正しい義をおこなうことが出来るはずですから!

釋 完修
合掌
[2020/06]

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