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bodhimandala

阿弥陀

お坊さんの小話(法話)
浄土真宗


問003
【 なぜ? 四十九日? 】

 一般的には、亡くなった人が浄土(これまた一般的には天国とかいったほうが分かるかも)に行く為の準備期間という認識が強いと思われる。

他宗(浄土真宗以外)においても、亡くなった人の供養の期間ととらえられている。ただ浄土真宗だけが、亡くなった人の供養ではなく(浄土真宗では、亡くなったその瞬間から、亡くなった人は、生きている私たちに様々なことを教えくれる仏になったと考える。故に供養するという行為をしないのである) …生きて娑婆に残った私たちの精進(修練)の期間ととらえる。

その意味は、六道と呼ばれる、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天 に由来する。この六道は生きている私たちの心の在り方を象徴している。

・地獄とは…争う心の事。

・餓鬼とは…貪る心の事。

・畜生とは…血を分けた者とでも憎み、嫉妬し、疎んでしまう心の事。

・修羅とは…愛するものの為のならば、如何なることもしてしまう心の事。

・人とは…四苦八苦に悩まされる心の事。

・天とは…うぬぼれ、慢心する心の事。

 この六道を生きている私たちは一分一秒同じところにいません。餓鬼になったかと思うと畜生になり、そうかと思うと修羅になったり。ぐるぐる六道を巡っているのが人間の姿です。

故に、お釈迦様はこの六道から一歩出た世界に進みなさいと説かれました。七歩目の世界です。

この七歩目の世界は、自分が今、六道のどこに居るのかを自覚できる世界です。自覚することができれば、そこに反省や後悔が生まれます。その反省や後悔が人間を人間として成長させ、懐の深い人間に導いて行くのです。

なぜ?四十九日なのか?は

初七日に自分の内に密む地獄の心を自覚しましょう。

二七日には自分の内に密む餓鬼の心を自覚しましょう。

そうやって七七日(四十九日)には六道すべてが私の内に秘められていることをしっかりと自覚して、その事を亡き人を縁として学ばせて頂きましたとお礼の法要をして納骨するのが浄土真宗の四十九日の意味であり、一週間に一つずつ六道を学び七歩目にいたるので七×七=四十九なのです。

釋 完修
合掌
[2017/06]

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